
実家の片づけをしていた妹から、ふいに「ラジカセが出てきたよ」と連絡がありました。最初は何のことかと思いましたが、話を聞いてみると、それは私と兄が中学に入学した際、揃って買ってもらったラジカセのことでした。
正直、もうとっくの昔に処分されたものと思い込んでいたので、驚きとともに懐かしさが一気に押し寄せてきました。どうやら、親が捨てきれずに段ボールに入れて大切にしまっていたようです。物を簡単に捨てられない性格の母らしいと、妙に納得してしまいました。
出てきたのは、兄の「SONY CF-1980」と、私の「National RQ-568」。どちらも昭和50年代前半、今からおよそ45年以上前の製品です。私たち兄弟にとっては、初めて手にした「自分だけの音楽装置」。あのときの喜びと、これで何を録音しようかと胸を躍らせた気持ちを、今でも鮮明に思い出せます。
恐る恐る電源コードを差し込み、スイッチを入れてみると──なんと、まだ動作しました。チューナーを回すと、「サーッ」という懐かしいホワイトノイズの奥から、かすかにラジオの音声が聴こえてきました。その瞬間、まるで時空がねじれて当時に戻ったかのような不思議な感覚に包まれました。
試しに手元に残していた古いカセットテープを入れてみたものの、残念ながら再生はできず。とはいえ、「SONY CF-1980」のほうはモーター音がしっかりしており、再生メカニズムは一応動いている様子。再生ヘッドをきちんとクリーニングすれば、もしかしたら音を蘇らせることができるかもしれません。
NationalのRQ-568のほうは、さすがに経年劣化が目立ち、操作ボタンの動きも鈍く、カセット部分の再生は難しそうでしたが、それでもチューナーでのラジオ受信は健在。これだけでも十分、奇跡のような出来事です。
それにしても、昔の電化製品は造りがしっかりしている。重量感があり、ダイヤルやボタンの感触にもどこか「道具」としての手応えがあって、現代のデジタル機器とはまた違った味わいがあります。カセットの蓋を開け閉めするだけでも、なんとも言えないノスタルジーを誘います。
このラジカセたちは、私たち兄弟が初めて音楽やラジオの世界に触れた入り口であり、当時の生活の中で常に音を届けてくれていた存在です。そんな相棒のような機械が、今でもこうして音を奏でてくれることが、なんだかうれしく、そしてちょっと切なくもありました。
しばらくは部屋の片隅に飾っておくつもりです。たまにラジオを鳴らしてみたり、気が向いたら修理してカセットテープを聴いてみたり。音楽と共に過ごしたあの頃を思い出しながら、少しずつ昔と向き合う時間を楽しもうと思います。
・SONY CF-1980
ラジオの音もクリアで、カセットは一応動いていましたが音は出ませんでした。
・National RQ-568
ラジオは雑音混じりで、カセットは動きませんでした。
以上の結果により、私はソニーの優秀さを改めて感じた次第です。
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