私的評価
奥山景布子著『流転の中将』を図書館で借りて読みました。京都所司代・桑名藩主松平定敬の物語です。物語は鳥羽・伏見の戦いの直前から始まります。実兄である容保や慶勝は知っていましたが、実のところこの本の主人公である定敬(さだあき)のことは知りませんでした。よく「京都所司代」という言葉は見聞きしているんですが、その最後の所司代が定敬だったのです。
すごく期待し読み始めましたが、私の期待は裏切られたまま最後まで…。なんでしょうか、主人公の定敬に魅力がないんですね。本の題名にもあるように、ただただ流されるままの人生。徹底抗戦すると思いきや、会津や函館に行くも戦わずに逃げ落ち、最後は国外まで。かの地で一旗揚げるのかと期待すれば、日本に戻って来て恭順するんです。そんな人物の物語が面白いはずありません。
★★☆☆☆
『新版 流れる星は生きている』とは
内容紹介
「なぜ、朝敵と言われなければならないのか。我らに何の罪があるというのか」
幕末、火中の栗を拾うようなものと言われながらも、京都守護職を拝命した会津藩主・松平容保の弟である桑名藩主の松平定敬は、京都所司代として、兄と共に徳川家のために尽くそうとする。しかし、十五代将軍・徳川慶喜は大政奉還後、戊辰戦争が起こると容保、定敬を連れて江戸へ戻り、ひたすら新政府に恭順。慶喜に裏切られる形となった定敬らは、恭順を認めてもらうには邪魔な存在として遠ざけられてしまう。一方、上方に近い桑名藩は藩主不在の中、新政府に恭順することを決める。藩主の座を追われた定敬は、わずかな家臣と共に江戸を離れることに……。朝敵とされ、帰るところも失い、越後、箱館、そして上海にまで流浪した男は、何を感じ、何を想っていたのか――。
新田次郎文学賞&本屋が選ぶ時代小説大賞受賞作家が、哀しみを心に宿しつつ、転戦していく松平定敬の姿を感動的に描く歴史小説。
著者紹介
奥山景布子[オクヤマキョウコ]
1966年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)号取得。2007年、「平家蟹異聞」(『源平六花撰』所収)でオール讀物新人賞、18年、『葵の残葉』で新田次郎文学賞&本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。
紀伊國屋書店
感想・その他

この写真は、桑名城跡に整備された九華公園内に建つ、本多忠勝の銅像です。以前サイクリングで桑名を訪れた際に偶然この像を見つけ、「ああ、桑名藩はやはり本多家が治めていたんだな」と何の疑いもなく思っていたのですが、調べてみると、実は本多家が桑名藩を治めていたのは、わずか二代に過ぎなかったことが分かりました。
その後、本多家は各地を転々と転封され、最終的には三河国岡崎藩に落ち着き、明治維新を迎えることになります。つまり、本多忠勝の子孫は桑名ではなく岡崎で幕末を迎えたわけです。この事実は、当初の思い込みを良い意味で裏切られるもので、歴史の流れの複雑さと面白さを改めて感じさせてくれました。
では、本多家の後の桑名藩主は誰だったのかというと、それは松平家――といっても徳川将軍家直系ではなく、久松松平家の流れを汲む家系です。久松→奥平→再び久松と、藩主家系は少し入れ替わりますが、最終的には久松松平家が幕末まで桑名を治めることとなります。
特に注目したのが、この本の主人公でもある松平定敬(さだあき)です。彼は美濃高須藩を本拠とする高須松平家の出身で、桑名藩に養子として迎えられました。高須松平家といえば、幕末における名門中の名門。定敬は八男にあたりますが、兄弟たちも名だたる家に養子に出されており、二男の慶勝は尾張徳川家(御三家の筆頭)、五男の茂栄(もちえい)は一橋徳川家(御三卿のひとつ)、七男の容保(かたもり)は会津松平家と、それぞれ将軍家に連なる重要な家系の養子となっています。
こうした背景を知るにつれ、桑名という一地方藩が、幕末の政治的な舞台の中で果たしていた役割の重みが、じわじわと伝わってきます。そして、定敬がなぜ重要人物として描かれるのか、その理由にも納得がいきました。
このような歴史の裏側を知ることができたのは、本を読んでいたおかげであり、単なる観光では得られなかった知識と興味が得られたことに、大きな収穫を感じています。歴史を学ぶことで、見慣れた風景がまったく違った意味を持ち始める――そんな体験ができるのも、旅や読書の楽しみのひとつだと思います。
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