
ゴールデンウィークの期間中、6日は出勤がありましたが、今日はいよいよ悲しい長期休暇の最終日となりました。朝から空は澄み渡り、まさに絶好のお出かけ日和。心地よい陽射しと爽やかな風が、最後の休日を存分に楽しませてくれそうです。
午前10時半、行き先を特に決めずに家を出てウォーキングへ。気ままに足を動かしながら、ふと気がつくといつものようにJR東海の名古屋車両区をまたぐ向野跨線橋へと足が向いていました。実のところ、特別な鉄道ファンというわけではありません。けれどこの場所から眺める光景には、なぜかいつも心惹かれてしまいます。
跨線橋の上から見下ろすと、整然と並ぶ車両たちの姿や、幾筋もの線路が絡み合う様子が広がり、その無機質な風景の中にどこか静かな躍動感を感じるのです。線路の向こうには、街の喧騒や日常の喧騒とは少し距離を置いたような時間が流れている気がして、歩く足も自然とゆっくりになりました。
特別な趣味ではなくとも、この跨線橋からの景色は私にとって小さな癒しのひととき。長期休暇の終わりを惜しみつつも、こうして身近な場所で過ごせる幸せを噛みしめた午後のウォーキングでした。


中川運河を北上。



向野橋(こうやばし)は、愛知県名古屋市中村区長戸井町1丁目、中川区百船町にある東海旅客鉄道(JR東海)名古屋車両区などをまたぐ跨線橋。「向野跨線橋」、「向野跨線道路橋」、「かまぼこ陸橋」とも呼ばれる。かつては、車歩道橋(車線なしの対面通行)であったが、橋の老朽化に伴い、2002年(平成14年)4月以降は四輪車・自動二輪車(但し原動機付自転車は通行可)は通行止めとなった。 1930年(昭和5年)、当時の日本国有鉄道(国鉄)名古屋機関区設置時に設けられた。
この橋のトラス橋部分は1899年(明治32年)、京都鉄道によって保津川橋梁として京都の保津川に架橋されたもので、米国A&Pロバーツ社で製造された。
架橋当時は日本最長であった支間長は保津川下りに配慮したものであったという。
1906年(明治39年)、京都鉄道が国有化されると路線は山陰本線(旧線)となったが、1922年(大正11年)4月3日、保津川橋梁で列車の脱線転覆事故が発生。損傷を受けた橋は修理されて再び使用されたのち1928年(昭和3年)に架け替えられ、旧橋は現在地に移設された。現在も橋桁の一部に当時の修理跡が残っている。
かつては橋梁中央部上に照明灯を載せた櫓が建てられていた。
2011年(平成23年)10月17日には、名古屋市の認定地域建造物資産に認定された。
Wikipedia


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