「日本海さかな街」には11時ごろ到着しました。お昼時で賑わっているかと思いきや、クルマの台数や建物内の人数から考えても、活気が感じられず、どちらかと言うと「寂れている」印象でした。クルマのナンバーも他県ばかりで、観光客目当ての商業施設といった雰囲気です。また、海鮮・海産物店を覗くとセールスがしつこく、そういったお店の前は足早に通り過ぎることにしました。食事も特筆すべき点はなく、いたって普通でした。
今回のドライブには、私の密かな目的がありました。それは、護衛艦の見学と柳ヶ瀬隧道の通過です。護衛艦の見学は叶いませんでしたが、柳ヶ瀬隧道は帰り道に通ることができました。このトンネルは、11年前の2013年9月に湖北から若狭湾へのサイクリングで通ってしまったこと(自転車は通行禁止です)があり、その時の記憶が鮮明に残っています。時間差の片側通行で、長さが1.3Kmもあるため、自転車では途中で対向車が来てしまい、非常に怖い思いをしました。しかし、今回クルマで通ってみると、思いのほか明るくて走りやすく、驚きました。
柳ヶ瀬隧道は、福井県道・滋賀県道140号敦賀柳ヶ瀬線に位置し、かつての日本国有鉄道北陸本線の旧ルートを踏襲しています。鉄道トンネル時代の1928年には、蒸気機関車の噴煙がトンネル内に充満し、複数の乗務員が死亡する事故が発生したこともあります。現在は、両入口に信号機が設置され、交互通行となっており、大型車や自転車、歩行者の通行はできません。地元では「お化けトンネル」とも呼ばれており、独特の雰囲気を持つ場所です。
今回のドライブでは、目的地を変更することになりましたが、思いがけず過去の記憶を辿ることができ、充実した一日となりました。次回は、護衛艦の見学も含めて、再度敦賀を訪れてみたいと思います。

当時の写真
このトンネルがある福井県道・滋賀県道140号敦賀柳ヶ瀬線はかつての日本国有鉄道北陸本線(鉄道営業末期は柳ヶ瀬線)の旧ルートを踏襲しており、鉄道路線時代のトンネルが現在もそのまま使用されている。この柳ヶ瀬トンネルは単線トンネルであったため、車一台分ほどしかない幅員と距離の割りに少ない灯火のせいでかなりの圧迫感があり、地元では「お化けトンネル」とも呼ばれている)。かつてはトンネル内で対向車と鉢合わせになった場合、トンネル内に二箇所ある離合箇所までどちらかがバックしなければならなかったが、現在は両入口に信号機を設置して交互通行となった。なお、大型車、自転車などの軽車両、歩行者の通行はできない。
ちなみに北陸自動車道のトンネル長は上りが1,320m、下りが1,270mである。
鉄道トンネル時代の1928年(昭和3年)12月6日 勾配の続く山岳トンネルであった故に機関車の空転により走行不能となった蒸気機関車の噴煙がトンネル内に充満した北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故があり、複数の乗務員が死亡する事故が起きている。
wikipedia
4 件のコメント:
>妻を誘って、
泣きました
>断られるのを覚悟して
更に泣きました
>「日本海さかな街」でテンションダウンして
寂れ具合に奥方が口きいてくれなくなっちゃった
んですか?
ちゃんと手は握りましたか?
匪石さん、コメントありがとうございます。
いつも断られているんでびっくりしました。
お目当ての昼食も近所の「う○寅の方が…」と。
でも帰りの方が話が弾みましたよwww
あの市場、20年以上前に行きました
ノドグロが余り知られてない頃です
何軒かに聞いても全く興味ない返答だっので
さもありなんですね
ranranさん、コメントありがとうございます。
テレビなんかで照会されるのを観ると、すごく良さそうなんですが実際は「はぁ~」って感じのところが多いですよね。ranranさんに教えてもらった高速のサービスエリアで食べた海鮮丼は良かったですね。
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