午前11時頃に到着しましたが、メインの駐車場(6〜7台ほどで満車)はすでにいっぱい。仕方なく、第2駐車場のような雰囲気の道路脇の空き地に車を停めました。そこから松尾山の陣跡までは、約1.6kmの距離。標高は300m弱とはいえ、かなり急な登りでした。登頂にはおよそ40分。とはいえ、デニムに綿のシャツという、山登りには不向きな服装だったため非常に歩きづらく、シャツは汗でびっしょりになってしまいました。
山頂に到着すると、そこには「小早川秀秋陣跡」と記された石碑と案内板があります。山頂からは関ヶ原の町を一望でき、その眺望は実に見事です。眼下には現在の交通の要である東海道新幹線の線路も見え、かつてと今とが重なるような不思議な感覚を覚えました。
関ヶ原は、東西を結ぶ交通の要所であり、古くから戦略的に重要な地でした。この松尾山もそのひとつで、南北朝時代には松尾城という城が築かれていたそうです。関ヶ原合戦に先立ち、石田三成はこの城跡を改修し、味方であるはずの小早川秀秋にここへの布陣を命じました。ところがご存知の通り、合戦当日、小早川軍はしばらく動かず、最終的には西軍を裏切って東軍に寝返るという劇的な展開を迎えることになります。まさにこの山の頂が、歴史の転換点の一つだったのです。
実際に自分の足で登ってみると、ここに1万5千もの兵が布陣していたという記録が、より現実味を帯びて感じられました。狭い山頂には到底収まりきらない規模の軍勢ですから、おそらく山の斜面や裾野にまでびっしりと兵が展開していたことでしょう。そう考えると、この静かな山も、かつては鬨の声と馬のいななきで満ちていたのだと思うと、感慨深いものがあります。
帰り道は、下りとはいえ膝にこたえる道のりでしたが、歴史を肌で感じることができる、充実した小さな旅になりました。次は紅葉の季節に、もっと装備を整えて訪れてみたいと思います。





登山道はよく整備されており、非常に歩きやすく、道に迷う心配もほとんどありません。ただ、山頂に設置されているトイレはありがたい存在ではあるものの、清掃が行き届いていない様子でした。




帰りは、滋賀県の木ノ本から国道303号線を通り、西美濃お茶街道を経て谷汲方面へ向かい、岐阜市を通って帰ってきました。
滋賀と岐阜の県境付近の国道303号線沿いには、残雪がまだところどころに見られ、桜はちょうど満開(散り始め)でした。
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