
「天皇誕生日」と聞いて、いまだに4月29日を思い浮かべてしまうのは、私だけではないはずです。かつて昭和天皇のお誕生日として知られ、平成に入り「みどりの日」、さらに今では「昭和の日」と名前を変えても、あの時代の記憶と結びついている人にとっては、やはり天皇誕生日=4月29日がしっくり来るのです。
そんな私がそう感じていた令和の天皇誕生日、つまり2月23日。まだ朝早く、家族は誰も起きておらず、テレビをつけるのも気が引けるし、掃除機も使えない。コーヒーを飲んだはいいけれど、時間を持て余してしまいました。手持ち無沙汰だったので、ふと思い立ち、ウォーキングに出かけることにしました。
ところが、いざ玄関を出ると、小雨がぱらついているではありませんか。「引き返すか、それともこのまま歩くか……」。一瞬迷いましたが、気温もそれほど低くなかったこともあり、「ま、濡れてもいいか」と気軽な気持ちで出発しました。
あてもなく、ただ気ままに足の向くまま。住宅街の中を抜け、大通りを避けながら歩いていると、気づけば名古屋市上下水道局・露橋水処理センターの近くまで来ていました。ここは、地下にある水処理施設の上部空間を有効活用するため、市民の憩いの場として整備された「広見憩いの杜」という緑地があります。雨のせいか人影もなく、雨粒が木々の葉を打つ音だけが静かに響き、とても落ち着いた雰囲気でした。小雨の中での散策というのも、なかなか乙なものです。
そのままさらに西へ足を延ばすと、鹽竈(しおがま)神社に辿り着きました。ここは地元では比較的知られた神社ですが、意外と立ち寄る機会が少ない場所です。鳥居をくぐる前に、ふとその横に置かれた「釜のオブジェ」が目に留まりました。「竈(かまど)と釜(かま)……意味は違うけれど、読みは同じ“カマ”だからか?」と、ちょっとした言葉遊びのような連想をしてみたり。どうやら地名の「鹽竈」とも何らかの関係があるのかもしれません。
さらにこの神社、実はユニークなご利益があることで知られています。なんと、ここには「無三殿大神(むさんどのおおかみ)」、いわゆる“痔の神様”が祀られているのです。いわゆるカッパ信仰に由来する神様だそうで、なかなか珍しい存在です。
由来
江川・笈瀬川の合流地。無三殿いり辺りの江川、清澄にして深からずといえども古来、霊鼈(亀または河童の意)のすむところなりと称し、畏敬して汚す者なし。樋辺一巨石あり、無三殿主神と刻す。昭和九年塩竈社へ移され今日に至る。
根抜き(痔)の神様
昔からむさんど・山王橋の西北角の橋上から着物のすそを端折ってお尻を堀川に映すと、痔の悪い人は川神様が治してくれると言い伝えがあります。 胡瓜、西瓜をお供えしお願いすると霊現あらかたなりと言われています。
由来の文中に出てくる「江川・笈瀬川の合流地」とありますが、現在でいうと江川は江川線、笈瀬川は中川運河にあたるようです。そう考えると、先ほど立ち寄った「広見憩いの杜」のあたりが、まさにその昔の霊地の近辺ではなかったのか──そんなふうにも想像でき、なんだか時間を超えて土地の記憶に触れたような、不思議な気分になりました。
こうして、思いがけず雨の中でのウォーキングは、ただの運動ではなく、歴史と信仰、そして地域の人々の思いに触れる小さな旅となりました。何気なく歩き出した朝が、こんなにも豊かな時間になるなんて思いもしませんでした。

「広見憩いの杜」から南の眺め。

「広見憩いの杜」から北の眺め。

最後の20分くらいの心拍、死んでしまうやろ!
こんなエラー、初めてです。
約1万歩、7kmほどの散歩となりました。
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