私にとって御嶽山は、単なる観光地ではありません。深い個人的な理由があります。それは、父方の祖母が御嶽信仰に傾倒していたことに由来します。祖母は何人もの子を若くして亡くし、その悲しみの中で、御嶽山に救いを求めたのでしょう。以来、家族にとって御嶽山は、祈りと慰めの場所、子供の私にとっては楽しいドライブ旅行となりました。
昭和40年代から50年代にかけて、祖父母がまだ若く元気だった頃。父の運転するライトバンに、私の家族5人と祖父母の7人がギュウギュウ詰めで乗り込み、早朝4時に名古屋を出発しては、夕方には帰宅するという日帰りのお参りが、我が家の恒例行事でした。高速道路など使わず、すべて一般道での運転。今になって思えば、長距離を運転していた父は本当に大変だっただろうと思います。座席に5人が座り、後部の荷室には布団を敷いて、子どもが寝転がったり、あぐらをかいて座ったりと、まるで移動する家族部屋のような車内でした。
当時、御嶽山の中腹には祖父母が建立したお墓があり、すでに亡くなっていた父の兄弟の名前と、まだ健在だった祖父母の名もその墓石に刻まれていました。お参りの後は、その前で手作りのお弁当を広げて食べるのが定番。腹ごしらえを済ませたあとは、五合目にある八海山神社まで移動し、再び戻ってくるという一連の流れが、私たち家族の年中行事になっていました。
やがて祖母が亡くなると、御嶽詣では父が一人で行くようになり、さらに父も高齢になり運転がしんどくなってくると、私や妹が運転手として同行するようになりました。その頃にはお墓も敷地整理の影響で納骨堂──御嶽山の「天昇殿」へと移されており、そこにお参りしたあと、八海山神社、御岳ロープウェイを経て開田高原へと抜けるルートが、父と私の定番コースとなりました。無口な父との車中は会話が少ないですが、今思えばかけがえのない時間でした。
父が亡くなった今、ドライブがてら私一人でお参りに行くようになりました。誰も行かなくなってしまうのは気が引けますし、信仰というより、家族への思いを形にする意味で、私が動けるうちはできるだけ足を運びたいと思っています。幸い、妹も家族を連れてちょくちょく参ってくれているようで、そのことも心強く、ありがたく感じています。
そうした経緯から、日帰りも可能な御嶽山へのお参りを、あえて車中泊を組み合わせて行うことで、旅としての深みが増します。そして、その宿泊地として最適なのが、私にとって車中泊初体験の「道の駅 三岳」なのです。ここは、次の日の行動にとって都合のよい場所なのです。
今回の旅も、納骨堂へのお参りから八海山神社、開田高原を回り、国道361号線で権兵衛トンネルを抜けて伊那方面へ。そこから国道153号を南下し、喬木村へ。さらに県道251号で国道152号へと接続し、しばらく南下。最後は国道418号を経由して平谷まで出て、再び国道153号を北上し、帰路につきました。
御嶽山は、私にとっていつまでも特別な場所であり続けるのだと思います。

昨年と同じく、お風呂は「代山温泉 せせらぎの四季」さん。とても良いのですが、料金がちょっと高めの800円。

今回宿泊地とした「道の駅三岳」は、昨年と比べて車中泊利用者が明らかに多く、ざっと見たところ20台ほどの車が停まっていました。静かな環境を期待していたのですが、中にはマナーの悪い方も見受けられ、夜中の1時を過ぎてもなおエンジンをかけっぱなしの車や、談笑というには少々度が過ぎる大声で会話しているグループもありました。眠りにつこうとしていた身には、少し残念な光景でした。
標高については、以前は「道の駅三岳」は1,000メートル近くあると思い込んでいたのですが、調べてみると実際にはおよそ760メートルとのこと。よく言われる「標高が100メートル上がるごとに気温が0.6℃下がる」という目安をあてはめると、-6℃の気温差を期待するには少し足りない計算になりました。とはいえ、夜間は気温が20℃を下回っていたようで少し寒いくらいでした。

国道152号沿いにある「道の駅 遠山郷」。現在はメンテナンス休業中とのことで、ひっそりとしていました。観光案内所の方に停め、トイレをお借りしました。

天龍村から名古屋方面の国道418号に通行止めがあったのか、天竜川の平岡ダム湖を左に見ながら北上し、和知野川沿いに国道151号に抜け、また国道418号に戻りました。
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