私的評価
半沢英一著『雲の先の修羅 「坂の上の雲」批判』を図書館で借りて読みました。先日読んだ鈴木壮一著『ロシア敗れたり―日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』と同様に、本書も司馬遼太郎の『坂の上の雲』を徹底的に検証し、その矛盾を指摘した内容となっています。『ロシア敗れたり…』が主に人物像の再評価を行ったのに対し、本書では日露戦争に至る経緯の矛盾点に焦点を当てています。司馬遼太郎が日露戦争を「祖国防衛戦争」と位置づけた考えを批判し、日清戦争や日露戦争が朝鮮半島の利権を巡る戦争であったと結論づけています。
後半はやたらと数式が出てきて読み飛ばしてしまいました。だって理解不能でしたから。
現在も続いているロシアのウクライナ侵攻では、ロシアは「祖国防衛」を主張していますが、実態はどう見ても侵略戦争です。同様に、日露戦争もロシアと日本が朝鮮半島の支配を目指した戦争だったと言えるのではないでしょうか。実際、日本は勝利後に朝鮮を併合しました。
★★★☆☆
『雲の先の修羅 「坂の上の雲」批判』とは
鈴木壮一著、2009年11月1日に東信堂から発刊されました。2024年10月10日に同じく毎日ワンズより『ロシア敗れたり(親書版)「坂の上の雲」という呪縛を解く!』が発刊されました。内容説明
全国民を魅了した大歴史小説に潜む危うさ司馬氏も自認しているように、『坂の上の雲』は歴史の領域に大きく踏み込んだ小説だった。そこで待ち構えていたのは、日本に漲る、戦後失われかけていた自らの誇りの回復を求める巨大な力──日本の近過去を、事実を無視しても、世界に雄飛した明るい物語として再確認したいという強い願望ではなかったか。書中の、特に日露戦争の実質的原因をなした、韓国問題における事実の隠蔽あるいは美化は、理由・表現はともあれ、そうした国民的願望と明らかに軌を一にしているのだ。NHK TV放映に対峙し、司馬氏が行った歴史上の意識的・無意識的錯誤を、グローバルな視野に立ち徹底検証・批判した力作。付録に、旧日本軍が信奉した「質の量に対する優越」の誤りを明確に示した初の数学的証明を付す。
目次
第1章 『坂の上の雲』の呪縛力
第2章 『坂の上の雲』への疑問
第3章 日清戦争の帝国主義は定義の問題ではなかった
第4章 日露戦争は日本の祖国防衛戦争ではなかった
第5章 空想歴史小説『坂の上の雲』
第6章 他の戦争歴史文学との比較
第7章 アイデンティティの牢獄『坂の上の雲』
第8章人類の課題としての帝国主義の克服
第9章 「日本人のアイデンティティ」を考えなおす
付 録 戦争の数学─百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に匹敵しない
第一章 疑似数理への数学的批判
第二章 疑似数理の影響
第三章 疑似数理と『坂の上の雲』
著者等紹介
半沢英一[ハンザワエイイチ]
東北大学理学部数学科卒。理学博士。現在金沢大学教員
紀伊國屋書店
感想・その他
外国の海軍関係者からも高く評価され、今なお「東洋のネルソン」と称される東郷平八郎元帥。日本国内では、特に日露戦争での連合艦隊司令長官としての勝利があまりにも鮮烈だったため、その後は軍神として神格化される存在となりました。しかしその一方で、昭和期に入ると一部の海軍関係者からは、時代遅れの象徴として「老害」と揶揄されるような側面も持っていたようです。彼の威光があまりにも大きかったがゆえに、次世代の指導者たちにとっては、むしろ重しになっていたのかもしれません。そんな東郷元帥が、日露戦争終結後の連合艦隊解散式で述べた有名な訓示の中に、ひときわ印象的な一節があります。
「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る。」
一見すると、非常にシンプルで力強い言葉です。しかし本書では、この一文の真意に対して、後半にかなりのページを割いて数学的な検証を行っています。たとえば、命中率100%の一門と、命中率1%の百門との比較が統計的にどうなるか、といった計算を通じて、場合によっては百門のほうが優れているケースもあるという結論を導いています。
たしかに、理屈としては納得できる部分もあります。戦闘とは確率の積み重ねでもあり、実際の戦局では量の力が質を上回ることもあるでしょう。しかし、私にはどうしてもこの「数学的証明」が、東郷元帥の言葉が持っていた本来の重みをやや空虚なものにしてしまっているように感じられました。
東郷長官が伝えたかったのは、単なる火力の比較ではなく、「精度にこだわる姿勢」や「一撃に魂を込める覚悟」ではなかったでしょうか。数の力に頼るのではなく、質を極める努力こそが真の勝利を生むという信念が、あの短い一文に込められていたように思うのです。
戦略や兵器の性能だけで語ることのできない「精神」や「哲学」こそ、東郷のような人物が後世に残そうとした真の遺産ではなかったか――そう考えると、この本のようにあまりにも合理的に分解されてしまうことに、どこか違和感を覚えずにはいられませんでした。たかったのは、そういうことではなかったように思うのですが…。
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