
私的評価
磯田道史著『殿様の通信簿』を読みました。図書館で借りました。
一言で言えば、面白いの一言に尽きます。
磯田先生が資料に基づいて行った解釈は非常に説得力があり、読むたびに引き込まれます。この本を読んで、もっと多くの大名について知りたくなる気持ちが湧いてきました。
特に最後に紹介された本多作左衛門(本多重次)は大名ではありませんが、「日本一短い手紙」として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」(「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」)を書いた人物です。磯田先生の解説を通して知る本多作左衛門の人物像は、まるで大河ドラマで取り上げられてもおかしくないほどの魅力にあふれていました。
★★★★☆
『殿様の通信簿』とは
磯田道史著、2006年6月に朝日新聞社より刊行されました。2008年10月に新潮文庫より文庫化されました。内容説明
史料「土芥寇讎記」―それは、元禄時代に大名の行状を秘かに探索した報告書だったのか。名君の誉れ高い水戸の黄門様は、じつは悪所通いをしていたと記され、あの赤穂事件の浅野内匠頭は、女色に耽るひきこもりで、事件前から家を滅ぼすと予言されていた。各種の史料も併用しながら、従来の評価を一変させる大名たちの生々しすぎる姿を史学界の俊秀が活写する歴史エッセイの傑作。
目次
・徳川光圀―ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし
・浅野内匠頭と大石内蔵助―長矩、女色を好むこと切なり
・池田綱政―曹源公の子、七十人おわせし
・前田利家―信長、利家をお犬と申候
・前田利常其之壱―家康曰く、其方、何としても殺さん
・前田利常其之弐―百万石に毒を飼うべきや
・前田/利常其之参―小便こらえ難く候
・内藤家長―猛火のうちに飛入りて焚死す
・本多作左衛門―作左衛門砕き候と申されよ
著者等紹介
磯田道史[イソダミチフミ]
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年、国際日本文化研究センター准教授、21年より同教授。18年、伊丹十三賞受賞。著書『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
紀伊国屋書店
感想・その他
この本の基になっているのは、『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』という、いかにも謎めいた雰囲気を持つ史料です。成立は江戸時代中期、元禄年間(17世紀末〜18世紀初頭)と考えられており、その内容は、全国の諸藩の藩主や家中の政治事情、人間関係、評判などを驚くほど詳しく記録したものです。いわば「幕藩体制下の政治スキャンダル白書」とでも呼ぶべきもので、現代でいえば極秘の内部レポート、あるいは各都道府県知事の裏評判をまとめた機密文書に近いかもしれません。概要
記述内容から元禄3年(1690年)から4年にかけて脱稿したと思われる。
原本は和綴本全43冊、首巻に総目録、第1巻が徳川将軍家の始祖新田義重から家康までの略伝、第2巻~第42巻に支藩を含めた諸大名242人について、親藩を先に、次に諸藩(譜代と外様の区別無し)の順に記述されている。諸藩の中の順は、一部の例をのぞいて、ほぼ石高の高い方から降順に記述されている。
一種の各藩の「紳士録」とも言える物であり、この後江戸時代後期に刊本として流通した「武鑑」の嚆矢となったとも言われている。が、『土芥寇讎記』は現在東京大学史料編纂所が蔵しているものしか確認されておらず、余り一般には流通しなかった本ではないかとも考えられ、それゆえ「謎の史料」と言われている。
特徴
儒教に基づいた教訓や道徳に基づいて、辛辣な評価が書かれているのが大きな特徴である。親藩、譜代、外様の区別を問わず、むしろ外様の大藩大名には比較的好意をもった評価が下されている。
逆に、儒学や古典籍の教養が無いものを「文が無い」として低評価する傾向にあり、また男色趣味の大名に低評価を与える傾向がある。
各藩ごとの記述の形式は整然とまとまっており、各藩の概要について比較して読むことが出来る。
Wikipedia
ところが、この書物がいったい誰によって、何の目的で、どのように書かれたのか――その詳細は今なお分かっていません。著者名も、作成の背景も不明なままです。しかし、これほど多岐にわたる大名家の内部事情を精緻に調べ上げ、それを全国規模で体系的に記録するとなれば、個人の手に負える仕事ではありません。となると、どうしても頭をよぎるのは、幕府、すなわち徳川政権による関与の可能性です。
徳川幕府が大名たちを常に警戒し、監視していたことはよく知られています。参勤交代制度や改易、転封などを通じて、藩の力を巧みに抑え込んできた背景には、常に情報収集と分析の力がありました。その点から見れば、『土芥寇讎記』は、幕府内部、特に老中や目付、あるいは奥の奥で動いていた情報機関の記録であった可能性が極めて高いともいえるでしょう。
しかし、一方で興味深いのは、この書物が「その後」について何ら継続されていないことです。元禄期以降、政治も藩主も大きく入れ替わっていくにもかかわらず、同様の続編や改訂版が見つかっていないのです。そうなると、もしかするとこの記録は「試み」として一度作られたものの、あまり実用には至らなかったのかもしれません。
あるいは、機密性が高すぎて、表に出せる内容ではなかった――その結果、歴史の表舞台から自然と埋もれてしまったということも考えられます。いずれにせよ、現存しているこの一冊が持つ情報量と分析の深さは圧倒的であり、まるで徳川時代の「インテリジェンスの遺物」を覗き見ているかのようなスリルと興奮があります。
こうして読むうちに、幕府と諸藩との間に流れていた「目に見えない緊張感」や、「支配する者と支配される者」という関係のリアルさが浮かび上がってきます。文書としては静かに佇んでいますが、その行間には、実に多くの政治的な熱と策略が渦巻いているように感じられるのです。
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