私的評価
映画『大河への道』を観ました。レンタルDVDでの鑑賞です。
すごく楽しく、そして心から満足できる映画でした。まさに「良質な娯楽作品」という言葉がぴったりで、観終わったあとには温かい余韻がじんわりと残りました。脚本を手がけたのは、私の大好きな脚本家・森下佳子さん。『JIN -仁-』や『ごちそうさん』『天国と地獄』など、数々の名作を世に送り出してきた方です。その森下さんが手がけたとなれば、面白くないはずがありません。台詞の一つひとつに品格とユーモア、そして人間への深い眼差しが感じられ、まさに“ツボに入る”作品でした。
特に印象的だったのは、将軍に地図の完成を披露する場面。緊張感と誇りが交錯するなかで、登場人物が発した「教悦至極に存じます」という一言――その言葉には、長年にわたる労苦と誠意、そして日本全国を測量し続けた人々の魂が宿っているように感じられ、胸が熱くなりました。何気ない一言のようでいて、重みと美しさのある台詞。これぞ森下佳子さんの真骨頂だと思います。
そして何より興味深かったのは、この物語の“主人公”とも言える伊能忠敬が、実は一度も登場しないという点です。彼の偉業を陰で支えた名もなき人々、測量隊の仲間たちにスポットを当てることで、物語には深みと奥行きが生まれました。忠敬の名前は語られますが、彼自身は姿を見せず、その分だけ周囲の人々の人間味が際立つ構成。まるで群像劇のように、それぞれのキャラクターが輝いていて、誰かひとりに肩入れすることなく、どの人物にも自然と感情移入できました。
そして、物語が終わり、エンディングロールが流れ始めたとき――「原作:立川志の輔(創作落語)」という文字に思わず目を見張りました。まさかこの感動的な作品が、落語を原作にしていたなんて! しかし、冷静になって振り返ってみると、全体を通して笑いと涙のバランスが絶妙で、クスリと笑わせながらも、人の誠実さや不器用な優しさに心を打たれる構成は、確かに“落語の世界観”そのものでした。
そして最後のオチ――まさに落語のような、軽やかで心地よい着地に、「ああ、これはやっぱり落語なんだな」と妙に納得。志の輔さんの語りでどのようにこの物語が展開されていくのか、ぜひ本家の落語のほうも聴いてみたいと思いました。
映画としても一級品ですが、こうして落語と映画が交差することで、新たな魅力が生まれているのだと感じました。娯楽でありながら深みがあり、人間を描きながらも押しつけがましくない。そういう作品に出会えると、映画って本当にいいなあと、改めて思わされます。
★★★★☆
作品概要
監督は中西健二。原作は立川志の輔の創作落語「大河への道―伊能忠敬物語―」。
脚本は森下佳子。
製作は「大河への道」フィルムパートナーズ。
主演は中井貴一、その他出演者に松山ケンイチ、北川景子、岸井ゆきの、西村まさ彦、平田満、草刈正雄ほか。
20122年5月20日公開の日本映画で、主題歌は玉置浩二の「星路」(これがなかなかよい歌でした)。原作の『伊能忠敬物語 -大河への道-』は、立川志の輔が伊能忠敬記念館の日本地図を観て感動し、それを落語として創作したもので、この演目を鑑賞した中井貴一から映画化の直談判を受けた。
作品の紹介・あらすじ
解説
立川志の輔の落語「大河への道」を映画化。現代と200年前の江戸時代を舞台に、日本で最初の実測地図を作った伊能忠敬を主役にした大河ドラマ制作プロジェクトの行方と、日本地図完成に隠された秘密を描く。監督は『花のあと』などの中西健二、脚本は『花戦さ』などの森下佳子が担当。『記憶にございません!』などの中井貴一が主演、『の・ようなもの のようなもの』などの松山ケンイチと北川景子が共演し、現代と江戸時代の登場人物をそれぞれ一人二役で演じる。
あらすじ
千葉県香取市役所では町おこしのため、日本初の実測地図を作った郷土の偉人・伊能忠敬を主役にした大河ドラマの制作プロジェクトを発足させる。ところが脚本作りの途中、忠敬は地図完成前に亡くなっていたという新事実が発覚し、プロジェクトチームはパニックに陥ってしまう。一方、江戸時代の1818年。忠敬は日本地図の完成を見ることなく世を去り、弟子たちは悲しみに暮れる中、師匠の志を継いで地図を完成させるため、壮大な作戦を開始する。
シネマトゥデイ
感想・その他
主演の中井貴一が演じた江戸時代編の人物は、江戸幕府天文方(天体観測・測量、天文関連書籍の翻訳などに従事)の高橋景保という人物です。映画では地図の完成を披露し、時の将軍からお褒めの言葉を賜り「教悦至極に存じます」となった訳です。この方がその後、どうなったのか…。文政11年(1828年)のシーボルト事件に関与して10月10日(11月16日)に伝馬町牢屋敷に投獄され、翌文政12年2月16日(1829年3月20日)に獄死している。享年45。獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、翌文政13年3月26日(1830年4月18日)に、改めて引き出されて罪状申し渡しの上斬首刑に処せられている。このため、公式記録では死因は斬罪という形になっている。
Wikipedia
なんと、あのシーボルト事件で捕まって死罪(実際は獄中死)になっていたのです。「あの」と書いてはしまいましたが、実際にはシーボルト事件のことをなにも知らなかった私…。
シーボルト事件(シーボルトじけん)は、江戸時代後期の1828年にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが国禁である日本地図などを日本国外に持ち出そうとして発覚した事件。役人や門人らが多数処刑された。1825年には異国船打払令が出されており、およそ外交は緊張状態にあった。
Wikipedia
こんなシーボルト事件ですが、その国禁である日本地図を渡したのが高橋景保なんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿