今日は成人の日でした。
街中では、晴れ着姿の若者たちが笑顔で写真を撮ったり、友人と連れ立って歩いたりしているのを見かけ、こちらまで少し華やいだ気分になりました。
ふと、自分の成人式を思い出してみました。もう37年前のことになります。あの日は、式典が終わった後、当時の友人たちと集まって麻雀をした記憶が強く残っています。麻雀そのものが楽しかったというよりも、気心の知れた仲間たちと過ごした時間のぬくもりが、今になっても心に残っているのかもしれません。
そんな感傷にひたりつつ、今日はウォーキングがてら、来週の大学入試共通テストに臨む二男のために、合格祈願に出かけてきました。向かったのは、学業成就のご利益で知られる上野天満宮です。
名古屋では最高気温14度と、1月にしてはとても暖かく、風もなく穏やかな一日でした。まさに、成人の日にふさわしい陽気だったと思います。往復22キロの道のりはなかなかの運動量でしたが、歩いている間は汗ばむほどで、帰宅後に着替えてみると、下着のシャツがしっかり汗で濡れていました。
上野天満宮は、まさに受験シーズン真っただ中ということもあって、境内は多くの参拝客でにぎわい、駐車場には順番待ちのクルマがずらりと並んでいました。きっとそれぞれに、願いを胸に手を合わせに来たのでしょう。親子連れの姿も多く、わが子の健闘を願う親の気持ちが、どこか自分にも伝わってくるようでした。
自分の若い頃を思い出しながら、今の若者たちを応援したくなる。そんな不思議な一日でした。受験生の皆さん、どうか力を尽くせますように。
およそ千年前の平安時代中期に陰陽師・安倍晴明の一族がこの地に住んだ折、菅原道真公を慕ってその御神霊をお祭りされたのが上野天満宮の起源と伝えられています。
上野天満宮にお奉りされる菅原道真公が、九州の太宰府にて亡くなられて平成14年には1100年が過ぎました。こころざし半ばにして無実の罪を背負い京都から追いやられた天才学者の無念を償うため、菅原道真公の墓所の上に太宰府天満宮が作られました。その後、100年弱した頃、同様に京都を追われた花山天皇に仕えていた陰陽学者の安倍晴明(920~1005)一族の一部が、名古屋の名古屋市千種区清明山に移り住みました。自らの境遇と照らして菅原道真公の心情を儚く思い、上野天満宮(現在地には、矢田川の氾濫から江戸時代に移動)を建て、菅原道真公を手厚く奉りました。そしてその思いがかない、安倍一族は一部を当地に残して無事に京都に戻ることが出来たそうです当時の中国は、学問や政治の手本として、日本人のあこがれでした。菅原道真公も安倍晴明も日本の代表的な勉強家でしたから、彼らの理想は、時として日本の権力への批判とうつることがあったのでしょう。しかし「正義は勝つ。努力は必ずむくわれる」のですね。彼らの理想があったからこそ今の私たちがあるのだと思います。仕事に勉強に励んでください。必ず成果は現れます。
上野天満宮
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