浅田次郎著『流人道中記』を読んだ感想

私的評価

浅田次郎著『流人道中記』を図書館で借りて読みました。

前に読んだ『黒書院の六兵衛』の的矢六兵衛と同様、姦通の罪人である旗本・青山玄番とはどういった人物なのかと、上巻では謎が深まるばかりです。下巻に入り、だんだんと玄番の人となりが分かってきて、どうして罪人となってしまったのか、どうして切腹を拒否したのかが分かってきます。
小説としての終わり方(結末)は好きではありませんでしたが、最後の最後で「玄蕃様」と初めて名前を呼んだ乙次郎の心のうちに、目頭が熱くなりました。とにかく面白く読めました。

★★★★☆

『流人道中記』とは

内容説明 上巻
万延元年(一八六〇年)。姦通の罪を犯した旗本・青山玄蕃に奉行所は切腹を言い渡す。だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」。玄蕃は蝦夷松前藩へ流罪となり、押送人の見習与力・石川乙次郎とともに奥州街道を北へと歩む。口も態度も悪く乙次郎を悩ませる玄蕃だが、道中行き会う事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。

内容説明 下巻
「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」。流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の仇を探す侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女。旅路の果てで語られる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、恥を晒してまで生き延びたのか?

著者等紹介
浅田次郎[アサダ ジロウ]
1951年東京生まれ。『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で司馬遼太郎賞と中央公論文芸賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞。2015年紫綬褒章を受賞。『蒼穹の昴』『シェエラザード』『わが心のジェニファー』『獅子吼』など著書多数。

紀伊國屋書店

感想・その他

印象に強く残ったのが、奉公先に盗賊を手引きした罪で捕らえられた亀吉の場面です。
亀吉は決して悪人ではありませんでした。盗賊たちにうまく言いくるめられ、純粋で人を疑うことを知らない性格が仇となっただけのこと。悪意など微塵もなく、ただ相手の言葉を信じてしまったがゆえの過ちだったのです。それでも当時の法は厳格で、一度罪を犯したとみなされれば情状酌量はほとんどなく、処罰が下されます。

そして決定的だったのは年齢でした。つい先日の正月を迎え、亀吉は16歳になったばかり。これがもし15歳であれば島流しで済んだ罪が、16歳というだけで磔刑という重い刑罰へと変わってしまったのです。体はまだ小柄で、顔立ちも幼さの残る少年。年齢を偽って早く奉公に出したいと願った親心が、皮肉にも命取りとなったのではないか──そんな想像すらしてしまいます。

亀吉がその後どうなったのかは、ぜひ本を読んで確かめてほしいのですが、私がこのエピソードで最も驚いたのは、江戸時代にも現代でいう「少年法」のような年齢の基準があったという事実です。当時の数え年で16歳(今の満年齢に換算すれば14〜15歳ほど)になれば、成人とみなされ死罪に処される可能性があったのです。男子は15歳で元服し、大人として扱われる時代。社会の仕組みも、働き始める年齢も、すべてが現代より早かったことを改めて感じました。

私はこれまで、江戸時代の処刑や刑罰といえば、大人も子供も分け隔てなく厳しく裁かれる、そんな漠然としたイメージを持っていました。しかし、実際には「未成年」という概念はしっかり存在し、それに応じた処遇があった。こうして本を通じて知ることで、時代背景や社会の価値観がより鮮明になり、歴史の奥深さを感じさせられます。

コメント