坪井平次著『戦艦大和の最後 一高角砲員の苛酷なる原体験』を読んだ感想

私的評価

坪井平次著『戦艦大和の最後 一高角砲員の苛酷なる原体験』を図書館で借りて読みました。

サブタイトルの「高角砲員の苛酷なる原体験」という言葉に強く惹かれ、ページを開きました。戦艦大和といえば日本海軍の象徴とも言える存在ですが、その内部で実際に戦った一兵士の視点で描かれた記録は、想像をはるかに超える生々しさと緊張感に満ちていました。

本書では、シールドに覆われた高角砲の狭い内部での作業や戦闘の様子が、非常に具体的に描かれています。砲員たちがどのように配置につき、指示を受け、敵機を迎え撃ったのか。戦闘のたびに耳をつんざく轟音が響き、砲弾の薬莢の匂いや振動が伝わってくるような臨場感があります。外では敵機が容赦なく襲いかかり、艦全体が雷撃や爆撃にさらされる。鋼鉄の巨体が揺れ、甲板では爆発音と悲鳴が入り混じり、内部は常に緊張と恐怖で張りつめていました。

雷撃、爆撃を受けた艦船の惨状は、まさに目を覆いたくなるものでした。損傷した区画からは火の手が上がり、仲間を救おうにも近づけない場所もあった。どこかで誰かが叫び声を上げている。それでも砲員たちは持ち場を離れず、ひたすら任務を遂行し続けます。戦闘という非日常の中で、極限の精神状態に置かれた人間の姿が赤裸々に描かれ、胸を締めつけられるような思いがしました。

「大和」という名前から連想する威容や栄光だけではなく、その裏で命を懸けて働いた一兵士たちの現実。戦争の現場で何が起こり、何を感じ、何を失ったのか。その一端を垣間見られる一冊でした。

★★★☆☆

『戦艦大和の最後 一高角砲員の苛酷なる原体験』とは

内容説明
日本海軍が技術を結集し、膨大な建造費をついやしながら、その巨体と強力なる武器を有効につかう機会をもたず、海底に消えた“遅れてきたヒーロー”戦艦「大和」―世界最大最強の巨艦の五番高角砲員として、マリアナ沖、レイテ沖海戦、最後の沖縄特攻出撃に赴いた苛酷なる原体験を書き綴った迫真の海戦記。

目次
第1章 教師として
第2章 大竹海兵団の生活
第3章 「大和」乗り組み
第4章 マリアナ沖海戦
第5章 レイテ沖海戦
第6章 沖縄特攻
第7章 戦艦「大和」死す

著者等紹介
坪井/平次[ツボイ ヘイジ]
大正11年11月、三重県熊野市に生まれる。昭和17年3月、三重県師範学校本科第一部卒業後、郷里の日進国民学校訓導となる。昭和18年4月、徴兵により海軍軍籍に入り、大竹海兵団入団。同年7月卒団、戦艦「大和」に乗り組み、五番高角砲員となる。以後信管手として、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と転戦し、沖縄特攻では、「大和」の沈没後、漂流したが救助される。終戦時、海軍上等兵曹。戦後は、三重県の小中学校の教諭、教頭、校長をつとめる。昭和55年停年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。

紀伊國屋書店


感想・その他

著者が配置された「高角砲」というのは、正式には「四十口径八九式十二糎七高角砲」と呼ばれるものでした。名前のとおり、口径は12.7センチ、当時の海軍では対空戦闘の主力兵器のひとつとして使用されていました。艦上の外見から見ると比較的小ぶりにも見えますが、その内部はかなり広く、シールドに覆われた砲塔内にはなんと12名もの乗員が配置されていたといいます。
内訳は、砲弾の信管を調整する信管手1名、射撃を担当する射手1名、砲を旋回させる旋回手1名、指示を伝える伝令1名。そして、砲弾装填などの補助を行う砲員が1門につき4名、これが2連装で合計8名。これらを合わせて1基の砲塔で12名が連携して動きます。昭和7年(1932年)2月に正式採用され、艦隊防空の要として長く使われた砲であり、現場では「12.7センチ高角砲」という通称で呼ばれていました。

著者はその中でも右舷の5番高角砲に配置された信管手でした。信管手の役割は極めて重要で、砲弾頭に取り付けられた信管に、敵機の距離や速度を計算しながら爆発までの時間を設定するという、正確さと迅速さが求められる任務です。高速で迫り来る飛行機に対し、瞬時に時間をセットする──その緊張感は計り知れません。しかし著者自身も書いているように、果たしてその努力がどれほど効果的だったのかは疑問が残るところです。実際、この坊ノ岬沖海戦で大和の高角砲群が撃ち落とした敵機はおよそ10機ほどとされ、その数字は、約2時間にわたる必死の奮闘に対してあまりにも報われないものでした。

そして戦いは苛烈を極めます。敵艦載機の波状攻撃を受ける中、著者たちの乗る5番高角砲は奇跡的に直撃弾を免れ、砲塔内の12名全員がその時点では無事でした。しかし運命は残酷でした。大和は最終的に致命傷を負い、坊ノ岬沖で沈没。炎と黒煙に包まれながら巨大な艦体が傾いていく中で、冷たい海がすべてを飲み込みます。その中で生還できたのは、12人のうち著者ただ一人でした。仲間たちの叫びも、砲塔で共に戦った顔も、すべて波間に消えた──その記憶を胸に刻み、生き残った著者が後年この本を記したのだと思うと、重い現実がよりいっそう迫ってきます。



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