私的評価
浅田次郎著『おもかげ』を図書館で借りて読みました。帯や書店のポップには「涙なくして読めない至高の最終章」と大きく謳われていた本書。期待に胸を膨らませながらページをめくると、確かに途中、何度か目頭が熱くなる場面がありました。登場人物たちの思い、過去と現在が交錯する描写、浅田氏ならではの情感豊かな文章が、心にじんわりと沁みてくるのです。
しかし、クライマックスに差し掛かると、なぜか私は涙を流すことなく読み終えてしまいました。浅田次郎作品の常として、私はこれまで何度も彼の描く人間模様や心の機微に心を揺さぶられてきました。『鉄道員(ぽっぽや)』や『地下鉄(メトロ)に乗って』などで味わった、胸を打つ感動や号泣の経験を思い返すと、この『おもかげ』には、私にとってはそのような強烈な感動が伴わなかったのです。
もちろん文章や構成が悪いというわけでは決してありません。むしろ、淡々と、しかし確実に人物たちの心情や過去の傷跡を描き出しているその筆致は、さすが浅田次郎だと感じました。それでも、期待していた「涙をこらえられないほどの感動」は、私の中では起きませんでした。これは、読む側の感受性やその時の心境にも左右されるのかもしれません。
とはいえ、静かに胸に残る余韻は確かにあり、しばらくすると物語の登場人物たちの顔や言葉が頭の中に蘇るのです。涙は出なかったものの、読み終えた後の静かな満足感――それもまた、この作品の魅力のひとつなのだと感じました。
★★★☆☆
『おもかげ』とは
内容説明
エリート会社員として定年まで勤め上げた竹脇は、送別会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友が次々に見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして…。涙なくして読めない至高の最終章。著者会心の傑作。
著者等紹介
浅田次郎[アサダ ジロウ]
1951年東京生まれ。『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で司馬遼太郎賞と中央公論文芸賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞。2015年紫綬褒章を受賞。『蒼穹の昴』『シェエラザード』『わが心のジェニファー』『獅子吼』など著書多数。
紀伊國屋書店
感想・その他
定年退職を迎え、同僚たちに盛大に送られた送別会の帰り道。ほろ酔い加減で乗り込んだ地下鉄の車内で、65歳の男性は突然倒れ、そのまま意識を失い昏睡状態に陥ります。本作は、そんな主人公の“魂の旅”を描いた物語です。彼の意識は身体を離れ、まるで幽体離脱をしているかのように過去や心の奥底を漂い歩き、これまで忘れようとしてきた記憶や感情と向き合っていきます。その体験を通して浮かび上がるのは、「人は忘れることで生き延びるが、忘れすぎれば何かを失う」というテーマです。主人公は、長年閉じ込めていた痛みや後悔、そして誰にも言えなかった秘密を少しずつ解き放ち、心の扉を開いていきます。しかし、物語の核となる“母親の存在”には違和感が残りました。主人公は幼い頃に母親に捨てられ、母の顔も名前も知らずに育ったという設定です。にもかかわらず、物語の終盤で母親との記憶を想起する描写には、やや無理があるように感じました。そこを掘り下げるよりも、むしろ主人公が幼くして亡くした子どもへの思いにもっと紙幅を割き、愛情や喪失感を深く描き込んだほうが、より胸を打つ作品になったのではないでしょうか。
また、ラストの展開もやや消化不良でした。物語は結末をぼかしたまま幕を閉じますが、私としては「奇跡的に意識を取り戻す」という筋書きのほうがしっくりきます。長い旅の果てに彼が目を覚まし、再び現実の世界で大切なものと向き合う姿が描かれていたなら、まさに帯で謳われていた“涙なくして読めない至高の最終章”になったのではないかと感じました。惜しさを感じつつも、心に引っかかる読後感が残る作品でした。
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