
私的評価
池波正太郎著『一升桝の度量』を図書館で借りて読みました。池波作品といえば『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などの時代小説が有名ですが、私はエッセイ集も大好きです。むしろ小説以上に、池波本人の価値観や人生観が垣間見えるエッセイは、日本人として生きるうえで指針になる部分が多いと感じています。特に私にとって『男の作法』はまさにバイブルであり、日本男児なら一度は目を通しておくべき名著だと断言できます。日常の立ち居振る舞いから仕事の心得、人との接し方、さらには料理や食事に関する美意識まで、どの章にも実践的な教えが詰まっており、読むたびに背筋が伸びる思いがします。
また、『食卓の情景』も同じく食文化や人生の楽しみ方を語る名エッセイで、文章から香りや音、情景までもが立ち上がってくるような豊かさがあります。そうした作品群と比べると、『一升桝の度量』はやや軽やかで、どちらかというと小品集のような印象を受けました。もちろん池波らしい視点やユーモアは随所に見られますし、ひとつひとつの話は面白いのですが、心に深く刻まれる「名言」や「人生訓」という意味では、少し物足りなさを感じてしまいます。
とはいえ、池波ファンにとってはやはり読んで損はありません。小さな気づきや共感できるエピソードが随所に散りばめられており、「ああ、こういう考え方もあるのか」とうなずかされる場面もあります。日常のすき間時間に気軽に読める内容であり、肩の力を抜いて楽しめる点では、むしろ初心者やライトな読者におすすめできる一冊かもしれません。
★★★☆☆
『一升桝の度量』とは
池波正太郎著、2011年に幻戯書房より刊行。これまで単行本に未収録のエッセーなどを収録した本となります。池波正太郎没後20+1周年記念として出版されたようです。内容説明
埋もれていたエッセイを再発掘!よみがえる江戸の男の粋。
目次
1. 歳月を書く(一升ますには一升しか入らぬ 維新の傑物 西郷隆盛 ほか)
2. あたたかい街(余白に うれしいこと ほか)
3. 劇場のにおい(「鈍牛」について 「夫婦」 ほか)
4.下町の少年(浅草六区 下町の少年 ほか)
著者紹介
池波 正太郎[イケナミショウタロウ]
大正12年(1923)、東京・浅草生まれ。下谷・西町小学校を卒業後、株式仲買店に勤める。戦後、下谷区役所に勤務して長谷川伸の門下に入り新国劇の脚 本を書いて演出の腕も磨く。昭和35年(1960)、「錯乱」で直木賞を受賞。52年(1977)、吉川英治文学賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕 掛人・藤枝梅安」の三大シリーズが人気絶頂のさなか、急性白血病で逝去する。
紀伊國屋書店
感想・その他
タイトルの「一升桝の度量」とは、「一升枡には一升しか入らない」という当たり前の理をもとに、限界以上のものを詰め込もうとする姿勢への警鐘を示しています。池波正太郎は、この言葉を経済成長を追い求めた昭和の日本人に向けて投げかけています。確かに昭和の中期から後期の日本は、無理を承知で前へ前へと進み、ぎゅうぎゅう詰めに発展を追い求めていた時代でした。けれど、閉塞感が漂う現代から振り返れば、その時代は確かにエネルギーに満ち、どこか輝いて見えるのも事実です。特に私が10代から20代前半の頃は、日本がまるでアメリカさえも追い越しそうな勢いを感じ、希望しかない国に思えていました。さて、この本の中で特に心に残ったのは、加賀藩第4代藩主(前田家5代)・前田綱紀の言葉です。年齢を重ねた今の自分に深く響き、まさに戒めとして心に刻みたい内容でした。
老人のつつしむべきこと
一は、老いて情がこわくなること。
二は、物事がくどくなること。
三は、世のうつり変わりと風俗を知らぬこと。
このほかにつつしむべきことは、若いころは衣裳を飾らなくとも美しいものだが、老人となって手足のゆびや、くびのまわりに垢よごれのあるものは、まことに見苦しいものじゃ。老いたるものは、よくよく身ぎれいせねばならぬ。
この言葉を読んで、ハッとさせられました。最近の自分を振り返ると、つい強情になり、家族から「くどい」と言われることも増えました。新しい考え方や技術に疎くなり、気づけば昔の価値観にしがみついている。若い頃、そんな父親の姿を鬱陶しく感じたこともあったのに、今では自分が子どもたちに同じように映っているのだろうと考えると苦笑せざるを得ません。
さらに、恋愛やおしゃれから遠ざかり、服装や身だしなみにも無頓着になってきています。多少の加齢臭や身なりの乱れも「大したことではない」と思い込んでいた節があります(もちろん自分では気づいていないつもりですが)。
綱紀公の言葉は、そんな私への痛烈なメッセージでした。年齢を重ねてもなお、柔軟で、清潔で、謙虚であることを忘れない――この教えを胸に、これからの日々を少しでも正していきたいと思います。
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