小泉孝太郎主演、連続ドラマW『死の臓器』のあらすじ・感想など

私的評価

WOWOWの連続ドラマ『死の臓器』を観ました。
Amazonプライムビデオでの視聴です。

やはりWOWOWドラマ、今回も期待を裏切りませんでした。冒頭は静かに物語が進みますが、回を重ねるごとに「死の臓器」というタイトルの意味が少しずつ浮かび上がってきます。その過程が実に巧妙で、ただの医療サスペンスにとどまらず、人間の欲望や倫理観、家族の在り方といったテーマにまで踏み込んでくるあたりに、さすがの重厚感を感じました。

物語が進むにつれて次第に緊張感が増し、次の展開が気になって仕方なくなります。気がつけば、映像とセリフの一つひとつに引き込まれてしまい、あっという間に全5話を見終えてしまいました。正直、この濃密な世界観でたった5話というのはもったいないくらいで、もっと長く続いてほしかったと感じます。

★★★★☆

作品概要

監督は佐藤祐一、植田泰史。
原作は麻野涼の同名小説「死の臓器」。
脚本は高山直也、鈴木智。
主演は小泉孝太郎、その他出演者は豊原功補、小西真奈美、柴俊夫、武田鉄矢ほか。

2015年にWOWOWの連続ドラマW「日曜オリジナルドラマ」で放送されました。全5話。

作品の紹介・あらすじ

解説
麻野涼原作による、現在の医療制度や人の命の在り方を問うた、社会派医療サスペンス小説をドラマ化。腎臓が摘出された女性の遺体の発見と、ある医師が掛けられた臓器移植手術による“人体実験”容疑という2つの事件の接点が見えたとき、それらは「臓器売買」疑惑へと発展していく。「臓器売買」の背景にある、人々の陰謀や愚かさ、そして「臓器移植」による生きることへの希望…。患者を救うために必要とされる「臓器移植」をテーマに大病院と製薬会社の暗躍と現代医療の倫理を問う。

あらすじ
テレビ番組の制作会社のディレクター・沼崎恭太(小泉孝太郎)は、富士の樹海で女性の遺体を発見する。法医解剖で凍死と判断されたが、片方の腎臓が摘出されていることも判明。刑事の白井(豊原功補)は、心に何か引っ掛かるものを感じる。一方、療聖会日野病院では、患者の高倉治子が人工透析を受けていた。治子の体は限界に近づいており、娘の裕美は主治医の日野誠一郎(武田鉄矢)に自分の腎臓を母に移植するよう懇願。しかし日野は頑として受け付けない。そんな中、救愛記念病院にけがをした男女が搬送されてくる。場面写真男女にあったそれぞれの手術痕から院長の大田勇(小木茂光)は、この男女の間で行なわれた腎臓移植を知る。そしてその腎臓が金で売買されたことを知り、警察に通報。執刀した日野は警察に任意同行を求められる。そのニュースに触発された沼崎は、樹海で見つけた遺体と臓器売買の関係について継続取材を決意。やがて医療現場の闇に近づいていく。

連続ドラマW

感想・その他

第一の感想として正直に言うと、これまで私は小泉孝太郎に対して「親の七光りで俳優をやっている人」という先入観を持っていました。彼の出演作はあまり観てこなかったのですが、今回のドラマでは、そんな自分の思い込みを見事に覆されました。主演が小泉孝太郎と知った時点では、「うーん、どうしようかな……観るのをやめようかな」とすら思ったほどです。しかし、いざ観てみると、意外にも彼の演技がしっかりしていて、自然な表情や台詞の間の取り方に好感が持てました。彼なりのスタイルで役にしっかりと向き合っていて、「ああ、この人はちゃんと“役者”なんだ」と見直しました。

さて、ドラマの内容についてですが、非常に重く、そして深いテーマを扱っており、観終わったあとに色々と考えさせられました。テーマは臓器移植。命に関わるこの問題は、単純に「善い」「悪い」では割り切れません。人それぞれの立場や状況によって、見え方も考え方も大きく変わってくるはずです。

ドラマを観ながら、私はかつての名プロレスラー、ジャンボ鶴田さんのことを思い出しました。彼は移植手術を受けるためにフィリピンへ行き、最終的には帰らぬ人となりました。当時の報道からも、日本における臓器移植の制度や倫理的課題、提供者の不足などが深刻な問題であることが浮き彫りになっていたように思います。

臓器移植を必要としている人々にとって、国の制度やルールが大きな壁になる現実――それはこのドラマを通して改めて考えさせられる点でした。命をつなぐための手段であるはずの移植が、法律や制度の整備不備、あるいは社会的な偏見によって遠ざけられてしまう。その理不尽さと無力感が、物語の中で繊細に描かれていて、胸に響きました。

最後に一言。武田鉄矢さんの演技ですが、正直に言って、最初は少し鼻につくというか、「またこの感じか……」と感じたのも事実です。どこか大げさで、押しつけがましくも思える語り口。しかし、物語が進むにつれて、それがあの役柄に必要な“重み”や“説得力”を与えているのだと気づきました。視点を変えれば、彼の存在感や芝居の強さがこのテーマの深刻さにうまく噛み合っていたようにも思います。そういう意味で、あの芝居もまた「上手さ」の一種なのかもしれません。

重い題材ではありましたが、良質なドラマでした。そして、偏見を持っていた俳優の再評価にもつながり、自分の中では意義深い視聴体験となりました。

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