浅田次郎著『かわいい自分には旅をさせよ』を読んだ感想


私的評価

浅田次郎著のエッセイ集『かわいい自分には旅をさせよ』を図書館で借りて読みました。

正直に言うと、私は浅田さんのエッセイがあまり得意ではありません。文章そのものは巧みで、読みやすさやユーモアもあるのですが、成功者ならではの自信や傲慢さが、ところどころに垣間見える気がしてしまうのです。おそらく本人にはそんなつもりはなく、むしろサービス精神や経験談として書かれているのでしょうが、読む側としては時折「上から目線」に感じる場面があります。

特に印象に残ったのはラスベガスのエピソード。煌びやかなカジノの描写や豪胆な行動には、確かに作家としての度胸や懐の広さを感じますが、同時に「成功者の余裕」というものをこれでもかと見せつけられたような気持ちになり、「ああ、そうですか、すごいですね」と、少し皮肉めいた感想を抱いてしまいました。

もっとも、これは完全に私自身の立場や感性によるものでしょう。裕福でも著名でもない一介の凡人のひがみかもしれません。しかし、それでもなお、浅田次郎という作家の力量は疑う余地がありません。エッセイでは少し距離を感じる一方で、小説の方はまったく別物です。緻密な構成、登場人物の息遣い、物語の奥行き──そのすべてが圧倒的で、読み進めるたびに「やはりこの人は物語の人だ」と再確認させられます。

★★★☆☆

『かわいい自分には旅をさせろ』とは

内容説明
人間本来の魅力は体力よりも体型よりも、年齢とともに備わる色気と知性である―四十を越えて美しさを増すシチリアのオヤジ達に心ひかれ、地球上のあらゆる道楽を堪能できるラスベガスの夜に人生を想う。日本を危うくする「男の不在」を憂いつつ、人気作家が自在につむいだ傑作エッセイ集。街道小説「かっぱぎ権左」特別収録。

目次
第1章 帰れずとも帰るべき町
第2章 パリからのラブ・レター
第3章 かっぱぎ権左
第4章 下戸の福音
第5章 回天の一日
第6章 男の不在
第7章 灰色のマトリョーシカ

著者等紹介
浅田次郎[アサダ ジロウ]
1951年東京生まれ。『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で司馬遼太郎賞と中央公論文芸賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞。2015年紫綬褒章を受賞。『蒼穹の昴』『シェエラザード』『わが心のジェニファー』『獅子吼』など著書多数。

紀伊國屋書店

感想

エッセイ集の中に収録されている短編小説「かっぱぎ権左」。この一編が、何よりも心に残りました。

主人公は、甲府勤番御組頭・永井権左衛門。三河以来の譜代御家人として、徳川への忠誠を貫き、薩長の新政府軍に抵抗して上野の山に馳せ参じたい――そんな武士の矜持を胸に秘めています。しかし、現実は非情です。家には老いた母、病弱な妻、そして幼い子どもが四人。彼らを置き去りにして大義に殉じることなど、とてもできない。武士としての義と、一家の長としての責任。その板挟みに苦しむ権左の姿が胸を締めつけます。

やがて蓄えは底をつき、生活は困窮を極めます。武士の誇りを持ちながらも、家族を飢えさせるわけにはいかない。追い詰められた権左が最後に選んだのは、甲州街道・小仏峠での追剥という手段でした。そこに現れたのは、いかにも裕福そうな商人風情の旅人。緊張感と羞恥心、家族のためという切実な思いが入り混じるその場面――ここから物語は一気に泣かせる展開へと転がり出します。

読んでいるうちに、私は完全に権左に感情移入してしまいました。浅田次郎作品に特有の、人情と哀愁、そして武士の誇りと弱さが見事に描かれています。強いて言えば、『壬生義士伝』の凝縮版ともいえるでしょう。昼休みに会社のデスクで読んでいたのですが、気づけば涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃ。周囲の目も気にならないほど胸を打たれました。

正直、この「かっぱぎ権左」一編を読むためだけでも、この本を手に取る価値は十分にあります。浅田次郎ファンならずとも、一人の人間の生きざまに触れ、涙を流したい方にはぜひおすすめしたい作品です。

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