吉川猛夫著『私は真珠湾のスパイだった』を読んだ感想

私的評価

吉川 猛夫/著『私は真珠湾のスパイだった』を、図書館で借りて読みました。

もっとハラハラ・ドキドキの緊迫感溢れる内容かと思いましたが、そんな感じではありませんでした。吉川氏の文書がそう感じさせたのかもしれませんが、「スパイ」から連想させる息が詰まるほどの緊張感はここにはありません。しかし、やっていることは軍事情報の収集活動。この吉川氏の九か月間の情報収集活動がなければ、真珠湾攻撃があのように成功することはなかったであろうことは確かです。

★★★☆☆

『私は真珠湾のスパイだった』とは

私は真珠湾のスパイだった』は、第二次世界大戦の直前に極秘命令を受けてハワイに派遣された元海軍少尉の回顧録です。

内容
海軍少尉吉川猛夫が、密命により、ホノルル総領事館に赴任すべく、外交官・森村正(偽名)として横浜港から客船に乗り込んだのは昭和十六年三月二十日のことだった。真珠湾内に停泊している米太平洋艦隊に関する情報を探り、ひそかに東京に送る「スパイ」としての生活が始まる―ー。
本書は、密命を担い、十二月八日に日本機動部隊を真珠湾に誘導した男の手記である。海軍兵学校を卒業、軍令部勤務で英米関係の軍事情報収集に携わった後、二年の訓練期間を経てハワイに送り込まれる。そこでの活動は、果敢に危険を冒しながらも慎重を期し、情報を掴み取る技と、最後の処理も忘れない、優れた仕事ぶりだった。

本書の戦後篇には逃亡中の記述も加えられ、現代からの視点も重ねられる。あの戦争の歴史に埋もれた、こうした裏面史にも私たちは目を向けるべきではないだろうか。 吉川の上司、喜多長雄総領事もまた、日米関係が緊迫度を増すなかホノルルに派遣された外務官僚で、情報活動に携わっていた。その長男の甥・有元隆志氏(元産経新聞政治部長)が、序文で、このもう一人の当事者に光を当て、本書に奥行きを与えている。

著者紹介
吉川猛夫[ヨシカワ タケオ]
1912年松山市生まれ。海軍兵学校卒業後、軍令部に勤務し、昭和16年3月外交官に化けて戦雲垂れ込めるハワイに潜入、以後12月8日のその日まで米太平洋艦隊の動きをつぶさに東京に報告し続けた。近年、真珠湾攻撃の詳細が明らかになるなか、実在した日本人スパイ(著者)の活動に改めて脚光が当てられている。著書に『東の風、雨』(講談社)など。

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感想・その他

著者である吉川氏は、1941年3月、ハワイ・ホノルルへ赴任しました。日米開戦のわずか9か月前のことです。この短い期間、彼はほぼ単独で真珠湾周辺のアメリカ太平洋艦隊の情報収集に奔走しました。当時のハワイは観光客や移民も多く、表向きは平和そのものでしたが、軍港としての真珠湾は厳重な警備が敷かれており、外部者にとっては容易に近づける場所ではありません。そのため彼の活動は非常に限られた手段と創意工夫に頼るしかなく、時に人目を忍び、時に日常の行動に偽装して情報をかき集めることになりました。

例えば、日系人経営の日本料亭に頻繁に出入りし、食事をしながら地元の噂や軍港の動向に耳を傾けました。料亭の二階からは真珠湾全体が一望でき、停泊中の艦船の配置や出入りの様子を遠目に観察できたといいます。また、日系タクシー運転手を利用して島内をドライブし、軍施設や港湾設備を外側から眺めるなど、日常的な移動の中で可能な限りの視察を行いました。こうした行動はあくまでも「市井の一人」を装う必要があり、緊張感と危険を伴ったものだったに違いありません。

しかし、吉川氏自身の記述によれば、当初は真珠湾攻撃という大規模な軍事行動が現実に起こるとは考えていなかったようです。日本から送られてくる情報要請も、当初は一般的な軍港の状況確認にとどまっていましたが、やがて日を追うごとにその内容は増え、要求される情報はより細部にわたるようになります。艦船の種類や停泊位置、出港時間、基地周辺の防備状況など、戦略的意図を感じさせる詳細な指示が増えるにつれ、「もしかすると真珠湾も攻撃対象となるのではないか」という予感が現実味を帯びてきたのです。

そして迎えた1941年12月8日(現地時間7日)、真珠湾攻撃が敢行されました。吉川氏はその後、現地で拘束され、戦時捕虜として収容所生活を余儀なくされます。戦況の推移を見守りつつ、やがて捕虜交換によって帰国することになりますが、この一連の体験は彼の人生観に大きな影響を与えたことでしょう。

注目すべきは、吉川氏が繰り返し記している「素人の自分にスパイなど務まるのか」という疑問です。通常、諜報活動といえば陸軍の中野学校のような専門教育を受けた訓練生が派遣されるのが定石と考えられます。にもかかわらず、なぜ吉川氏のような経歴の人物が選ばれたのか。その理由は今もなお完全には解明されていません。彼の資質、人脈、語学力、あるいは外交的な立場など、いくつかの要因が重なった結果なのかもしれませんが、その選任には大きな謎が残されています。

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